2011年1月19日上午约10:20我下楼刚走到小区大门,就被国保警察围住了。区国保处长助理小李手上拿着一张空白传唤证,对我说:“去五角场派出所,市局领导找你。”我知道什么市局领导,其实就是几个市国保警察。区局警察见到市局警察都称领导,不知道是尊称,还是调侃?我不管什么领导,只要有传唤证,阿狗阿猫都见,没有传唤证,坚决反抗。
国保警察驱车送我到杨浦区五角场派出所,一进门我就被关在询问室,当然没有被关在铁笼里,坐在椅子上等候。相隔一周我又来到询问室,看守人看到我来都很高兴,又可以聊天了。国保借这块地方瞎折腾,我也在这里给他们讲法制课。
下午小李来询问室,把我带到三楼的办公室,他们要做一个笔录,小李询问,民警小叶记录,社保老李陪坐。询问一开始,我就先请小李将传唤证交被传唤人一联给我,他请小叶填写传唤证,又是一个“涉嫌以其他方式扰乱社会公共秩序”,什么是其他方式,就是什么方式也没有。我拿着传唤证当宝贝,也算一个历史文物了。让国保抓人也要按法定程序走,至少也是一个进步。
小李询问:你出门准备到哪里去?
我说:去上海人民大道200号的市人大信访办。
小李问:你带着100张《关于清除上海司法不作为恶习及罢免法院院长的建议书》、100张《我要立案——上海司法不作为案例汇编(第1集)》介绍、100张《法院既不立案又不裁定的案例简表》、50张《建议书签名表格》,去人民大道200号做什么?
我说:不做什么。
小李问:你知道每周三是上海访民的聚集日?
我说:不予回答。
笔录收尾是一个千遍一律的政策教育。让我过目签名,传唤也算走过场,但我仍被押回询问室。我清楚,什么传唤都是假的,我一切公开,他们根本不需要了解我什么。今天周三是上海访民的聚集日,领导怕我去搞《关于清除上海司法不作为恶习及罢免法院院长的建议书》的签名活动。虽然这项活动合法,但领导不舒服,所以派国保来报复一下。
传唤结束后,区国保小李没有归还我一包资料,笑着说:“市国保要找你哥哥谈话,这包资料交给你哥哥看。”我也笑着说:“怎么小孩吵架,又要向家长告状了。找我哥哥有什么用,他还能管五十几岁的我吗?还是去找我妈妈吧,不过我妈妈已故。”
我在询问室里等待市局国保警察,非常愿意向他们讨教法律及法治。我知道,他们不喜欢与我讲法律,依法行事就不可以为所欲为,他们的某些同志更希望我成为一个政治激进分子,这样好对付,可我却是一个主张“护宪维权”的温和分子。我的不左不右、温和坚定的做法令他们不爽。所以,他们不愿见我,去请我哥哥喝咖啡了。
下午5:15我被释放。国保指令民警小叶与国保老李送我回家,并将暂扣的手机归还我。我打开手机,不见手机信号,就意识到手机芯片又被故意刻坏了。小叶、老李亲眼目睹这个事实,也觉得不可思议,国保怎么也干起这种小流氓干的事呢?令我哭笑不得,最后还是一笑而过,回家化费十元钱在移动手机公司补了一张,其他二张报废了。
我经历的委屈太多,心态就自然平静了。从举办网上的“冤假错案博览会”、发起“我要立案”行动、《我要立案——上海司法不作为案例汇编》,到《关于清除上海司法不作为恶习及罢免法院院长的建议书》,每次提出新的维权行动,都要遭受一次迫害,这已经是定律。我们就是与当局的摩擦中推动中国进步。而且,在这个哭笑不得的时代,我们还要笑,笑比哭好。
冯正虎
2011年1月19日
附件:
1. 2011年1月19日的传唤证
2. 2011年1月19日三张被故意刻坏的手机芯片
这些蓄生,都是混饭吃的~
这些蓄生,都是混饭吃的~
日文全訳;『当局と摩擦を起こしながら中国の進歩を前進させる』。(時代劇風味)
2011年1月19日午前10時20分、アパートから表にでようとしたら岡っ引きたちが私を取り囲んだ。岡っ引きの小李は一枚の空白の呼び出し状をみせ「ちょっと五角の番屋まできてくんねえかい、奉行所の与力の旦那がてめえに用があるってよ」と言った。同心?なにじつは岡っ引きなんだな。岡っ引き連は奉行所の役人はみな与力とよんでるが、尊称なのかバカにしてるのかようわからん。ま、いい。呼び出し状があるならいってやろう。なければ行かないだけのはなしだ。
岡っ引きは、籠に私を乗せると五角の番屋まではこんでいった。別に鉄格子の牢屋にいれられたわけではないが、お白州控え部屋に閉じ込められたので、待っていた。1週間前にもきたなあ。牢番たちは私がくるのを歓迎してくれる。話し相手ができるからだ。岡っ引きはここで私を虐めているつもりだが、わたしは彼らにありがたい法をといてあげるのだ。
午後になって小李がやってきて、3階のお白州部屋へ。連中は下っ引きの小葉に筆記させ、そのまた手下の老李にそばにすわらせて、お調べがはじまった。私はまず小李に呼び出し状を呼び出し人に渡すべきだと述べて、小葉に中味を書かせた。また「社会秩序を乱した容疑」とかなんとか。他の書き方ないんだな。それをしっかりしまいこむ。いずれ歴史的文化物になるだろう。つまり岡っ引きが人をしょっぴくときもちゃんと法秩序にのっとってやらせるのは進歩のはじまり、だ。
小李の質問;おめえはどこへなにしにいくつもりだったんでえ?
私;人民大道の200番地にある人民目安箱へ。
小李;おめ、全部で350枚の『上海の司法の怠慢の悪習と法院長を罷免する建議について』だの『我が訴えを取り上げよ 上海司法サボ第一集』だの『建議書署名簿』だの持ってるが、なにするつもりだったんでえ?
私;いや、べつになにも。
小李;おめー、毎週火曜日って上海の上訴難民の集会日だってしってるのか?
私;(ノーコメ)
最後は、いつもとおなじ、ありがたいお上の政策の説教で、署名でおしまい。これで終わりのはずだが、以前、私は部屋に閉じ込められたまま。なに、連中の『呼び出し』なんてみんな噓っぱち。今日、上海の上訴難民の集まる日だから、お偉方は『上海の司法の怠慢の悪習と法院長を罷免する建議について』なんか持って署名活動されると困るってこと。これはむろん合法活動なんだが、ボスどもは厭なんだろう。で下っ端を使って嫌がらせにでたわけだ。
呼び出しが終わったのに、わたしの資料を返してくれないで、笑いながら「あんたの兄貴にはなして、みせるから」。で、「ガキの喧嘩やおまへんがな、家長にいうたるでえ、兄貴かんけーないし、わしもう50歳でっせ。母親もさきごろ死んだしのう」。
岡っ引き諸君に法律と法治について教えてやりたかったんだが、連中はわたしと法律の話をしたがらない。法律に則ってやる、ちうのは好き勝手にでけない、ということだからな。連中は私がもっとカゲキ分子であってほしいわけ。そしたらやりやすい。でも私はずっと「憲法を守って、法律に従え」というてるわけやし、左でも右でもない中庸の人士、おとなしく法律に従え、と言い続けているので困っている。で、私の顔をみたくないから、兄貴に珈琲のませたいわけや。
午後5時15分釈放。下っ引きは手下に家までおくっていくように、と。でケータイ返してよこしたが、信号がない。また携帯のカード壊しよった。岡っ引き連中というのはようこんなチンピラみたいなことしよるな。泣いていいのか笑っていいのか。やはり笑うしかないなあ。家に戻って10元はらって新しいカードを買って、壊されたのは拝跪。
まあこんなことは沢山経験しているから、心は落ち着いたもの。ネットで『冤罪でっち上げ、誤判決博覧会』やって、「わが訴えをとりあげよ」やって、『上海の司法の怠慢の悪習と法院長を罷免する建議について』、と毎回あたらしい権利擁護運動をするたびに、やつらの迫害を受ける。これはもうルーチンのような。こうして当局と摩擦を起こしながら、中国の進歩を突き動かして行く。ほんまに泣きたいような笑いたいようなアホな時代だが、やっぱり笑って行こう。泣くよりマシやし。
2011年 1月 19 日
日文全訳;『当局と摩擦を起こしながら中国の進歩を前進させる』。(時代劇風味)
2011年1月19日午前10時20分、アパートから表にでようとしたら岡っ引きたちが私を取り囲んだ。岡っ引きの小李は一枚の空白の呼び出し状をみせ「ちょっと五角の番屋まできてくんねえかい、奉行所の与力の旦那がてめえに用があるってよ」と言った。同心?なにじつは岡っ引きなんだな。岡っ引き連は奉行所の役人はみな与力とよんでるが、尊称なのかバカにしてるのかようわからん。ま、いい。呼び出し状があるならいってやろう。なければ行かないだけのはなしだ。
岡っ引きは、籠に私を乗せると五角の番屋まではこんでいった。別に鉄格子の牢屋にいれられたわけではないが、お白州控え部屋に閉じ込められたので、待っていた。1週間前にもきたなあ。牢番たちは私がくるのを歓迎してくれる。話し相手ができるからだ。岡っ引きはここで私を虐めているつもりだが、わたしは彼らにありがたい法をといてあげるのだ。
午後になって小李がやってきて、3階のお白州部屋へ。連中は下っ引きの小葉に筆記させ、そのまた手下の老李にそばにすわらせて、お調べがはじまった。私はまず小李に呼び出し状を呼び出し人に渡すべきだと述べて、小葉に中味を書かせた。また「社会秩序を乱した容疑」とかなんとか。他の書き方ないんだな。それをしっかりしまいこむ。いずれ歴史的文化物になるだろう。つまり岡っ引きが人をしょっぴくときもちゃんと法秩序にのっとってやらせるのは進歩のはじまり、だ。
小李の質問;おめえはどこへなにしにいくつもりだったんでえ?
私;人民大道の200番地にある人民目安箱へ。
小李;おめ、全部で350枚の『上海の司法の怠慢の悪習と法院長を罷免する建議について』だの『我が訴えを取り上げよ 上海司法サボ第一集』だの『建議書署名簿』だの持ってるが、なにするつもりだったんでえ?
私;いや、べつになにも。
小李;おめー、毎週火曜日って上海の上訴難民の集会日だってしってるのか?
私;(ノーコメ)
最後は、いつもとおなじ、ありがたいお上の政策の説教で、署名でおしまい。これで終わりのはずだが、以前、私は部屋に閉じ込められたまま。なに、連中の『呼び出し』なんてみんな噓っぱち。今日、上海の上訴難民の集まる日だから、お偉方は『上海の司法の怠慢の悪習と法院長を罷免する建議について』なんか持って署名活動されると困るってこと。これはむろん合法活動なんだが、ボスどもは厭なんだろう。で下っ端を使って嫌がらせにでたわけだ。
呼び出しが終わったのに、わたしの資料を返してくれないで、笑いながら「あんたの兄貴にはなして、みせるから」。で、「ガキの喧嘩やおまへんがな、家長にいうたるでえ、兄貴かんけーないし、わしもう50歳でっせ。母親もさきごろ死んだしのう」。
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2011年 1月 19 日
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